放心状態。

今年の収穫としては、なんといっても「苦海浄土」全三部作を読了したこと。合計で1000ページ以上はある作品で、その読後感たるや、心地よい疲労感とか達成感とか解放感とかがないまぜになって、しばし放心してしまった。

こんな読書体験も珍しい。そして、こんな凄い作品を知らずに来た自分を恥じたものだ。石牟礼道子水俣病も、大学に入って浮かれていた?頃には世に知られていたのだが。

池澤夏樹が編纂した世界文学全集に、日本から唯一石牟礼道子を入れた、というのも素直に頷ける。

 

世界に通じる作品と思うが、ひとつ懸念するのは、方言の多さゆえに、外国人には豊穣なローカリティや土俗的な神話性が伝わらないのではないか、ということ。ドナルド・キーンさんでも、これは理解できないのではないか?

それが惜しいといえば惜しいが、そこにこそ日本語の豊かさがあるとも言える。

 

よくできたミステリなど読むと、「これは逆立ちしても書けない」と思ったりするが、こと石牟礼道子サンに関しては、そんな思いも不遜だと恥じ入ってしまう。

伝記やら関連本を読んでいると、才能も感性も存在感も人間離れしているので、はなから比ぶべくもない、と思ってしまうのだ。

なにしろ「言葉の巫女」(by加藤登紀子)という形容がピッタリ……「あちら側」の人にかなうわけがない(^_^;)

 

というわけで、これからは「知ってはいたが読んでない作品」を漁っていこう、と思ったりした。

そんなのありすぎて、頭がクラクラするけど(^_^;)

スマホホルダー

愛車・Jコンセプトに、スマホホルダーを取り付けた。

台座をハンドルに固定して、iPhoneをワンタッチで脱着できるタイプだ。ちょっとコンビニに寄るときとか自転車を離れるときに、サクッとiPhoneをはずして持っていけるので、じつに便利。

これで昭和歌謡を聴きながら走っている。

ああ、なんてハッピー〜(^_^;)

 

世間ではイヤホンを付けて走っている輩が多いが、これは違反だし危険なのでやらない。iPhoneのスピーカーから音を出している。

周囲の迷惑も考えて音は控えめにしているし、町中の雑音もあるので音楽鑑賞的にはイマイチだが、音楽はすべからくBGMと思っている私には、これで十分だ。

 

まあ周囲の人には耳障りかもしれないなあ〜。

近づいてきた自転車から、「南国土佐を後にして」(ペギー葉山)とか「川は流れる」(仲宗根美樹)とかが聞こえてくるんだから(^_^;)

ほかにもラジコアプリでFMを聴くとか、YouTubeやAmazonmusicでいろんなプレイリストを聴くといった使い方もできるので、自転車に乗るのがさらに楽しくなった。

無尽蔵ともいえる音楽ソースが、iPhoneひとつでまかなえるのがなんとも便利で、ウソのようだ。クルマに山のようにCDを積んで走ったのは、いつのことやら……(遠い目w)

 

そんなわけで私のiPhoneは、ほとんど自転車用音楽プレーヤーと化している今日このごろであります(^_^;)

東京縦断?

11月のビッグイベントは、都内のユージン・スミスの写真展2つにでかけたこと。しかも電アシで……というのが私にしては画期的だ。

まず御茶ノ水へ行き、次に六本木という東京縦断コースだ。

 

写真そのものは、すでに写真集でほとんど見ていたのであまり感動はしなかったが、御茶ノ水の会場では同年輩の人に話しかけられ、けっこう話が弾んでしまった。

なんとこのために熊本から上京してきたとか。自分も写真を撮っていて、若いころ水俣にいたユージン・スミスに会いに行ったという。

映画「MINAMATA」のこと、「苦海浄土」のことなど、いろいろ盛り上がってしまった。いや〜、意外な出会いってあるもんですな。たまには都心に出てみるもんだなと(^_^;)

 

しかし、六本木・東京ミッドタウンのほうは圧倒的アウェイ感にさいなまれ、早々に退散。西荻生活に慣れてしまうと、まるで外国のような気がしてしまう(^_^;)。

帰りは四谷の「若葉」で鯛焼きを買って、一応無事に帰宅。

 

いや〜、都内周遊ツアーby電アシは楽しいな、との実感と自信を得た。

次はどこへ行ってみるかな?と、空想をふくらませる日々であります。

ロイヤルな客?

このところ、ロイヤルファミリーの結婚についてかまびすしい。

別に結婚は好きにすればいいが、遺族年金の詐取疑惑なんてのは法の精神に則って、しっかり対応してもらいたい……と思うのみだ。

 

ところでロイヤルといえば、私もロイヤルの称号を得ている。

某カフェではよく通うので、少しずつポイントが貯まり、《ロイヤルカスタマー様へ》ということで、時々300円分のクーポンがスマホに送られてくるのだ。これでコーヒー1杯が飲める。

それにしてもロイヤルカスタマーって、ちょっと大げさじゃないか?

 

と思ったところで、ふと疑念が湧いてきた。

ロイヤルカスタマー様って……これは、ロイヤルはロイヤルでも、ROYAL (王室の)ではなく、  LOYAL(忠実な)の意味ではないか????(^_^;)

最近の大幅値上げにもめげず、せっせと通っている自分のいじらしさ?を思うと、後者のほうがしっくりくるではないか。

 

忠実な客だよな、ホント……とぶつくさ言いつつ、実はきょうも行って地道にポイントを貯めてしまったのでありました(^_^;)

 

ちなみにこの店には、家族で来ている常連も見かける。

これがホントのロイヤルファミリー?www

こわい父親

ツタヤの高すぎ新作で「ファーザー」(フロリアン・ぜレール監督)を見る。

今年のアカデミー賞で主演男優賞(アンソニー・ホプキンス)、脚色賞を得た作品。

認知症の視点から見た映画というのが新鮮だ。

ある日突然家の中に知らない人間が居座り、娘の夫だという。

買い物から帰ってきた娘も、見覚えのない顔だ。主人公は混乱し、戸惑う。一体どうなっているのか?

 

これはホラーかサスペンスかと惹き込まれてしまう。

周囲が結託して、主人公を騙しているのではないか?と思ってしまうのだ。この疑惑、混乱が本作のキモで、じつによくできたドラマだ。

主演のアンソニー・ホプキンスが絶妙の名演技で唸らせる。というか、演技と思えないくらいのなりきりぶりだ。

とはいえ、レクター博士のイメージがいまだに強烈なので、終盤、逆上した彼がいきなり噛みつくのではないか?と、そっちの方が怖かったが(^_^;)

 

それにしても認知症は困るなあ。年はとりたくないなあ……という平凡な結論に至ったのでありました(^_^;)

またまた満足。

映画「MINAMATA」の流れで、「苦海浄土」(石牟礼道子著)を読む。この本のことは知っていたが、読むのは初めて。

 

苦海浄土―わが水俣病』(くがいじょうど・くかいじょうど)は、水俣病患者を題材とする、1969年に出版された石牟礼道子の作品。水俣湾に排出された工業廃水に含まれた汚染物質で生じた奇病の苦しみと患者の尊厳を表現している(Wikiより)。

 

いやはや凄い本だった。重い。深い。鋭い。しかし慈愛に満ちている。

水俣病の悲惨な現実が、当地の方言による、患者や家族の話し言葉が圧倒的なリアリティで迫ってきて、ノックアウトされた。公害を生んだ近代の病理、企業の非情さなども浮き彫りにされるが、それよりも印象的だったのは、地元に暮らす漁民の生きた言葉を通して伝わってくる、広くいえば日本人の原像――といったイメージの広がりだった。

 

しかも驚いたことに、もちろん聞き書きではあるが、地元の人のセリフは、著者の創作だという。ノンフィクションとも小説ともつかない、ジャンルを超えた文学作品という意味でもユニークだ。

私が言うのもナンだが、ノーベル文学賞に値する作品だと思う。日本人が読んでも水俣弁の方言がきつい?ので、そのニュアンスが外国人に伝わるかどうかが、ちょっと疑問だが。

 

思えば、この本が出された頃、自分は大学に入って浮かれていた(?)わけで、水俣にもこの本にも触れずに来たことが、なんだか恥ずかしくなった。まあいまからでも遅くはない。全3部作をコンプリートしようっと(^_^;)

どっちも良かった!

「魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣」(石井妙子著)を読む。

伝説のフォトジャーナリスト最後の3年間。20歳の時、51歳のフォトジャーナリスト、ユージン・スミスと出会ったアイリーン・美緒子・スプレイグ。二人は、チッソの工場排水が引き起こす未曾有の公害に苦しむ水俣を目指した――。取材開始から十年。近代化の傷と、再生を勝ち取った魂の闘いに迫る大河ノンフィクション。 (Amazonより)

 

映画「MINAMATA」の、いわば解説本として最高だろう。

水俣病の経緯と被害者の闘い、そして3年間にわたってこれを撮影したユージン・スミスと妻アイリーンの闘いの軌跡がよく分かる。

とりわけ、映画のなかでもクライマックスだった「入浴する智子と母」を撮影する場面は、息を呑むほどに素晴らしい。

スミスの息遣い、アイリーンの細やかなアシスタントぶりが伝わってきて、まさに崇高な芸術作品の創作現場に立ち会っているような臨場感を覚えた。

 

スミスの人間的魅力も、じつによく伝わってくる。

出版社にとってはトラブルメーカーであったとか、酒びたりで家庭を顧みないとか、欠点は山のようにある。しかしふだんのスミスは冗談ばかり言ってすぐ人と打ち解ける、魅力的な男だったとか。

いわゆる「人たらし」というヤツね。カメラマンには大いに必要な才能だ(^_^;)。 まあ近くにいたら迷惑だが、傍で見ている分には魅力的な人物っているよな〜。

 

しかし夫婦の溝は徐々に広がっていき、水俣の撮影後に二人は離婚する。夫婦の年齢差は30歳もあり、スミスは戦争による傷などで体もガタガタで、子供も作れなかったようだ。

振り返ってみれば、水俣を撮るための連帯というか、同志愛でつながっていたカップルのように思える。 まあ名前もユージン(友人)だし(^_^;)

 

映画も良かったが、いやはやこの本もすごかった。

ページをめくるのももどかしい、至福の時間を過ごすことができた。どっちも良かったなんて、珍しい。

残りの人生で、あとどれくらいこんなケースに遭遇できることやら……またしても「ノー・タイム・トゥ・ダイ」の思いがよぎったのであります(←こればっかりw)