戦争を我等に(?)
「戦争にチャンスを与えよ」(エドワード・ルトワック著・文春新書)を読む。
著者は著名な戦略家、歴史家、経済学者、国防アドバイザー……だそうな。
目から鱗の逆説的論理にビックリさせられた。
戦争には一定の役割があり、最終的に、その後の「平和」を生み出すことにある、という。
当事者の感情=火が燃え尽きないうちに凍結されてしまうと、戦争は結局長期化し、そこで争われている本当の問題は解決しないのである……と。
90年代のアメリカのバルカン半島やアフリカでの介入事例がまさにそうであるという。そして国連やNGOの介入に対して、「彼らこそ戦争を長引かせている張本人だ」と批判するのだ。
いやビックリしたのなんの。
毒のある逆説だが、言われてみるとたしかに頷ける。
つまり、戦争が始まったら、仲裁などせず、とことんやらせろってことか?(^_^;)
その点、日本とアメリカはとことん戦ったわけで、まあ最後のへんはやられすぎだとしても、お互いの戦いの感情は燃え尽きたといえるだろう。
そういえば、ケント・ギルバートも著書のなかで
「アメリカ人はもう日本と戦争はしたくないと思っている。とことん戦って怖さを知っているから」と書いていた。
ちなみにタイトルは、ジョン・レノンの「平和を我等に」(Give Peace a Chance)のもじりである。
この曲というと、すぐに映画「いちご白書」のラストシーンを思い出す。
大学への抗議で体育館に集まった学生たちが、この曲に合わせて床を叩く。やがて機動隊が突入し、学生たちを制圧する。主人公が機動隊に向かってジャンプしたとき画面が止まり、主題歌「サークル・ゲーム」が流れる。
忘れがたいラストだった。
ところで、「いちご白書」といえば、思い出すのはユーミンの「いちご白書をもう一度」である。
先日のNHKラジオ番組「すっぴん」でユーミンの特集があり、この曲が話題になっていた。
「就職が決まって髪を切ってきたとき もう若くないさと君に言い訳したね」という歌詞はおかしい。髪を切るのは就活の前だろ!――というゲストの突っ込みには笑ってしまった(^_^;)
そんなこと、全然気が付かなかったヨw
さらにゲストは「卒業写真」にも触れる。
「卒業写真のあの人はやさしい目をしてる」という「あの人」とは、自分のことでもあるのでは?――と、深読みしていた。
オイオイ、それは違うぞ!と思う。
なんたって「街で見かけたとき 何も言えなかった」とあるではないか! どうだ、参ったか(なにが?)
とまあ、こんな役にも立たないことをあれこれ考えるのは楽しい。
最初に戻ると、ヒマをわれらに!である(十分あるけど)。