許されるウソ

ツタヤの高すぎ新作で「ボヘミアン・ラプソディ」を見る。

いまさら言うこともないが、一つひとつのエピソードがたくみに組み合わされ、クイーンの成長、仲違い、そして再結束と、ドラマとしての序破急の約束事がきちんと描かれていることに感心。そもそも、フレディのユニークなキャラは、映画の主人公として魅力的だ。

そして最後には、クライマックスのライブエイドで、極上の興奮とカタルシスを味わえる。クイーンに興味がなくとも、映画としてよく出来ているので、広範な客層を惹きつけて、あれほどのヒットになったのだろう。

 

ドラマ的に重要なキーポイントは、フレディが自らをエイズと知って、もはやあまり人生の時間がないと覚り、せき立てられるようにライブエイドへの参加を決意する、というくだりだ。これがライブの爆発的な興奮につながっている。

もっとも、本当のところは、フレディが自らの病気を知ったのはライブエイドの後らしいが……(^_^;)。

それじゃ、話のテンションがだいぶ落ちるもんなあ~。これは作劇的に仕方のないウソというべきだろう。映画とはそういうもので、騙すならうまく騙してほしい。

朝ドラの、やたらハグで盛り上げようとする安直な演出よりは許せるというものだ(ちょっと違う?w