本当のところは?
「ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白
」を読む。
同名のドキュメンタリー映画の書籍版。
(以下、アマゾンより)
「なにも知らなかった。私に罪はない」
ヒトラーの右腕としてナチ体制を牽引したヨーゼフ・ゲッベルスの103歳の元秘書が、69年の時をへて当時を回想する。
ゲッベルスの秘書だったブルンヒルデ・ポムゼル。ヒトラーの権力掌握からまもなくナチ党員となったが、それは国営放送局での職を得るための手段にすぎなかった。ポムゼルは、「政治には無関心だった」と語り、ナチスの所業への関与を否定し、一貫して「私はなにも知らなかった」と主張する。
解説を執筆したジャーナリストは、このような一般市民の無関心にこそ危うさがあると、ナショナリズムとポピュリズムが台頭する現代社会へ警鐘を鳴らす。
子ども時代から始まるポムゼルの回想は、30時間におよぶインタビューをもとに書き起こされ、全体主義下のドイツを生きた人々の姿を浮かびあがらせる。(引用ここまで)
……というような内容。
ゲッベルスの秘書という立場にありながら、彼女はホロコーストなどの事実を知らなかったのか。知っていたが、とぼけているのか。あるいはまた、事実には近づくまいとしていたのか?……という興味で読み進んでしまう。なかなかスリリングな面白さを持った本だった。
本人は、「なにも知らなかった。私に罪はない」と言い、解説はこのような一般市民の無関心にこそ危うさがある……と、えんえん責めているが、ちょっと違和感を覚えた。
秘書といっても、何人もいるスタッフのうちの1人だし、速記タイピストというスペシャリストだし、そもそもゲッベルスとそんなに接する機会もなかったようだ。これを責めるのは、酷というものではないか。
かりにホロコーストを知っていたとしても、一種の自衛本能からなるべくそういう話には近づくまいとしていた……と推測できる。
当時の就職難、まして女性が仕事を得られる機会はかなり少なかったご時世だ。しかもかなりの高給。彼女が自分を守るためにそう振る舞ったとしても、誰も非難はできないだろう。
まして、彼女に何ができたのか。できたとしても、それが祖国を裏切る行為になるかと思えば、躊躇もするだろう。
だから「ハンナ・アーレント」における、アイヒマンのケースとは全然位相の違う話だと思う。
しかし、当時の世相や無関心な市民層などの空気感はよく伝わってきた。ナチズムは、こうした市民の支持から生まれ、固められていったというのがよく分かる。
むしろ、最後に明かされる秘話――恋人のユダヤ人青年にまつわる切ないエピソードにこそ、本作でもっとも胸を突かれた。これこそ、映画化したらどうか?と思った次第。
とまあ、いろいろ考えさせられる本でありました。