アベ・マリア

CD「サラ・ブライトマン/クラシックス」を毎日聴いている。
冒頭の「アベ・マリア」、すでに持っているDVDにも
そのミュージックビデオが入っているので、
軽くスルーするつもりがあら不思議、サラの透明感と
温かみのある高音に包まれたとたん、全身がへなへなとゆるみ、
おおげさにいえば細胞単位にまでその声がしみいって、
まるで赤子が母親に抱かれるような安堵感につつまれて
体がとろけるような気分になったのでありました。
あまり使いたくない言葉でいえば、まさに癒されてしまった。


それにしても不思議だ。同じ曲なのに、
なぜ映像がないほうが良いのか?
つまり、映像にこちらの注意が向くぶん、本来音の持っている
力が削がれてしまうということなのだろう。
音だけだと、さまざまなイメージが湧いてくるが、映像が
ついているとそれを許さない。むしろ、つまらない映像だと
曲のイメージすら限定し貶めてしまう感がある。
そういえば、映画のサントラ盤というのがあるが、ビデオなど
なかった時代は、これを聴いてひたすら映画のイメージを
懐かしんだものだ。何度も聴いていると、どんどん映画のよい
イメージが広がってしまい、久しぶりに本物の映画を見ると
それほど良くなくてガッカリ……なんてこともあったりした。


などと、音の持つイメージの広がりについて、
いろいろ考えさせられた。
やはり耳で聴く音楽(CD、レコード等)はなくならない、と
思ったのでありマスタ。