「グラン・トリノ」

映画の日に「グラン・トリノ」を見る。絶賛の批評が多くて期待したのだが、
B級テイストいっぱい(by小林信彦)の小佳作といったところか。
映画としての奥行きや構えの立派さからいえば、迷うことなく
チェンジリング」の方に軍配が上がる。
この映画はひたすらクリント・イーストウッドを見るための映画であり、
その圧倒的な存在感に酔うための映画だ。


この映画の最大の衝撃はラストだろう。同時代人として
イーストウッドのほとんどの映画につきあってきた身としては、
「荒野の用心棒」やら「ダーティハリー」やら、さまざまな作品の
ヒーローとしての彼の姿が走馬燈のように脳裏を駆けめぐり、
それらの思い出が一気に反転して、なんとも深い感慨に包まれる。
唖然として、しばし言葉を失う。
それは、彼にかかわる映画的記憶の総決算、といってもいい。
主人公の決着のつけ方が、人生の選択の仕方が、イーストウッド自身
の映画的成熟に連動している。
この先、この人はどこへ行くのか、と戸惑ってしまう。
そういう意味で、これは、究極ともいえるイーストウッドの心境映画とも
プライベートムービーとも言える映画なのだった。