愛人じゃなかった?

朝日新聞で、先日亡くなった作詞家・吉岡治を取り上げていた。
記者が「『天城越え』の主人公は、愛人だと思っていたら、妻だった」……と書いていて、ビックリした。ワタシもすっかりあれは愛人の
立場から見た歌だと思いこんでいたからだ。
さっそく歌詞をチェックしてみると、


(1)「隠しきれない 移り香が いつしかあなたに 浸みついた 
誰かに盗(ト)られる くらいなら あなたを殺していいですか」

 
(2)「口を開けば 別れると 刺さったまんまの 割れ硝子 
ふたりで居たって 寒いけど 嘘でも抱かれりゃ あたたかい」

 
と、なるほど確かに妻と言われればそんな気がしないでもない。
しかし、しかしですね……(1)に続く「寝乱れて 隠れ宿」なんてフレーズからは、やはり愛人としか読めないのではないか? 妻と泊まるなら、隠れる必要はないはずだ。
(2)の「ふたりで居たって 寒いけど」というのも、世間に背を向けた
関係ゆえの比喩的な表現だろう。それに、後段「走り水 迷い恋」とも
ある。夫婦でいまさら「恋」はないだろう。
やはりこの歌は、愛人関係にある男に、別の女ができた……という
シチュエーションではないかと思う。
それに、そもそも妻だというのなら、この歌のエロチシズムも
情念の迫力も半減というものだ(^^;)。