官僚と責任

零戦戦艦大和」(文春新書)の続き。
軍人の責任の取り方についての、日米比較が面白い。
真珠湾奇襲のあと、当時の太平洋艦隊司令長官キンメルは
責任を取らされて解任、降格されたという。
あれは向こうから見ればだまし討ちというものであり、
責任を取らされるのは、確かに気の毒だ。私なら、卓袱台を
ひっくり返してやるところだ(^^;)。
しかし米海軍では、艦を座礁させても、その艦長は首になるとか。
つまりは、トップに絶大な権限が与えられる代わりに、
結果についてはすべて責任を負え、ということらしい。


対するに日本は、ミッドウェイの敗戦でも、南雲長官をはじめ
だれも更迭されなかった。日本のようなムラ社会では、
最大の価値はメンバーのまとまりであり、そういう社会では
仲間のクビを切る、というのは最大の難事である……と。
これはいまの官僚についても同様で、文民官僚たちは責任を
取ってクビにされたことはない……という。


そういえば、ふと思い出した。子どもの頃見た「太平洋の嵐」と
いう戦争映画だ。ミッドウェイの敗戦のあと、軍の上層部は、
負けた事実を隠蔽するために、生き残ったパイロットを
最前線へ飛ばしてしまう。
主人公(夏木陽介)は、新婚間もない身でありながら、黙って
任地へ赴くところで、映画は終わる。子どもながら、
理不尽に対する怒りを感じたものだ。
日米どっちがいいのかはともかく、こういう体質はいまも
たいして変わっていないようだ(と、おおまかな結論w)。