「ヒッチコック『裏窓』ミステリの映画学」

を読む。加藤幹郎著。
『裏窓』には、レイモンド・バーが殺人を犯したという
物証がなにひとつなく、あれは主人公の妄想……という
推論にビックリ。
確かに殺されたとされるバーの妻の遺体も、その一部も
画面には出てこない。車椅子のJ・スチュワートののぞきに
端を発する、勝手な推理と妄想と言われれば、論理的には
頷けなくもない。


しかし、ヒッチコックの映画って、論理的な筋道を云々する
ものじゃないだろう。
『北北西に進路をとれ』では、主人公がなんで逃げてるのか
ちっとも分からないし、それを劇中で明かそうともしない。
つまり、そんなことには興味がなく、ひたすら観客を
驚かせ、わくわくさせることに生き甲斐を感じている映画作家
なのだといえよう。
『裏窓』に限っていえば、ひたすらカメラをJ・スチュアートの
室内に置いたままの一人称的視点で映画一本を撮ってみよう
という、職人的な自負がベースにあったにちがいない。
視点がひとつであったからこそ、描けない部分や
セリフの説明で済ませた部分があるわけで、そこがこの本の
指摘した弱点?にもなっているわけだ。
でも、なかなか刺激的な論考で、久々に面白い映画の本を読んだ。