主語複数・述語暴走説

「本と映画と『70年』を語ろう」(鈴木邦男/川本三郎)を
読んでいたら、「主語が複数になると、述語が暴走する」と
いう言葉が出てきた。
思わず、「誰がうまいこと言えと……」と呟いた。


つまり、「私はこう思う」というのが、「我々は〜しなくちゃ
いけない」となってしまう――というのだ。
そういえば、かつて大学のキャンパスにも「われわれは
米帝国主義を打倒するぞ!」とか、「われわれは無期限
ストライキを勝ち取るぞ!」という勇ましいコピーが立て看に
踊っていたなあ。
この主語が単数だったら、なんだか間抜けな感じになって
しまうし、「そりゃムリだろう!」と突っ込みたくなる。
他者を巻き込み、全体の総意と思わせる一種の詐術ではあるが、
逆に言えば、プロパガンダアジテーションでは、すべて主語を
複数にすればいいわけだ。


そういえば、思い当たった。某Y新聞の社説など、いつも
エラソーな書き方が鼻につくが、なにしろ主筆が有名な
独裁者なので、「私たち」と書いてあると、私の脳内では
ああ「オレ」(某ナ◯ツネ)のことね、と自動的に変換されて
しまうのだ。
これも、主語複数・述語暴走説をなんとはなしに悟って
いたからだろう。


最近はこういう社説も、年寄りの繰り言ならしょうがないか、
と思うことにしている。これも年の功か?(^_^;)
……と、むりやり敬老の日にかこつけたまとめでありました。