死んでるヒマは……その2

Tジョイ大泉で「MINAMATA」を見る。

日本における水俣病の惨事を世界に伝えたアメリカの写真家、ユージン・スミス氏の日本での取材を描くヒューマンドラマ(ヤフー映画より)

 

そもそもポスターの、カメラを抱えたジョニー・デップの上半身大写しを見たとき、「うわっ、これは傑作!」と予感した。

ユージン・スミスがデップに憑依したかのような錯覚に陥った(じつは、ユージン・スミスってどんな人かも知らなかったわけだが……。俳優のイメージ喚起力ってすごいもんですなw)。

それほどに、全身から放たれるジョニデのオーラが凄いと感じられたのだ。実際、この映画でのジョニデははまり役で、見る者を圧倒し、魅了する。

 

金欠でだらしなく、家庭にも問題を抱え、アルコール依存症のスミスが、水俣病の現場にしぶしぶ立ち会ううちに、次第に立ち直り、危険も恐れずにシャッターを切っていく。決してヒーロー然と描かない自然体の演出が好もしい。

日本側の描写も妙なところはなく、好感が持てる。ロケはセルビア・モンテネグロで行われたというが、言われないと分からないレベルだ。

クルマなんかも新型、もとい旧型コロナをちゃんと走らせているところなんか、芸が細かい。

 

この映画のクライマックス、チッソ側から暴行を受け、目も腕もままならないなかで、妻の協力を得ながら、有名な写真「入浴する智子と母」を撮るときのシーンには、まさに目を奪われる。

聖母マリアがキリストを抱くような、写真としての宗教的なまでの美しさとともに、これに注いだスミスのすべてもまた神々しく美しい……と思えるのだ。

水俣での撮影を最後に、わずか数年後に他界したことを知れば、さらにその思いは深まる。

というわけで、今年のベストワンはこれに決定!

 

映画のあとのお楽しみは、原作本や関連情報を漁ること。ネットの映画批評や掲示板、キネマ旬報の特集記事はすでにチェックした。

これから「MINAMATA」(写真集)、「苦海浄土」(石牟礼道子)、「魂を撮ろう ―ユージン・スミスとアイリーンの水俣―」など、関連本を読むつもりだ。

ああ忙しい……まったくもって「ノー・タイム・トゥ・ダイ」であります(^_^;)

死んでるヒマはない?

ユナイテッド・シネマとしまえんで「007/ノー・タイム・トゥー・ダイ」を見る。

ダニエル・クレイグのボンドシリーズ最終作ということで、それにふさわしい終わり方だった。え、こうなるの?という疑問もあり感慨もあり……これまでの作品へのオマージュもあってしんみりしたり。

007を見て泣けるとは思わなかった……年のせい?(^_^;)

 

しかし、エンドクレジットの最後に「ジェームズ・ボンド・ウィル・リターン」と出たので、ずっこけた。まだ続けるのかよ!と。

まあ商魂たくましい映画関係者のこと、そうだろうとは思っていたが、どんな設定にするつもりだろう?

今頃、プロデューサーやらシナリオライターやらが、新しいボンドの設定を必死で考えてるんだろうな。女性にするとか黒人にするとか、あるいは東洋人にするとか……? 少年時代に遡るとか宇宙に飛び出すとかコメディに走るとか、頭をひねっているに違いない。

 

ダニエル・ボンドがひとりの女性を愛する生真面目な(?)キャラだったので、次は揺り戻しでプレイボーイに戻るのかも。

なにしろショーン・コネリーの演じたボンドを見て、男の夢だ!とあこがれたのは、中2の頃……。世界で同じ思いの男は、数十億人はいると思うなあ(^_^;)

まあ私が生きてるうちに次のボンドを見たいものだ。その意味では、まさにこっちも「ノー・タイム・トゥー・ダイ」なんであります(^_^;)

含羞?

筒美京平 大ヒットメーカーの秘密」(近田春夫著)を読む。

全盛時代の売れっ子ぶりはよく知っていたので、面白く読んだ。

しかし活躍の割にはあまり表に出ることがなく、どんな人だったかも知られていない。近田春夫は、これを「東京人の含羞」ゆえ、としている。なにしろ初等部から大学まで青山学院で、遊ぶのは渋谷。新宿は嫌いだったというから、それも納得だ。

 

私は東京人ではないが、含羞に関しては自信がある。

サイン会がいやだからベストセラー作家にはなりたくないし、100万円入った財布を拾ったら、交番に届けて名前も告げずに風のように立ち去ることだろう(一部フィクションw)。

「日本一の含羞男」というコンテストがあれば、かなり上位に入れる――とひそかに思っている。

それにしても筒美京平、本名が「渡辺栄吉」とは。そりゃ含羞どころじゃないよな……と、同情したくなった。

 

曲の元ネタをいくつかバラしているのも面白い。

センチメンタル・ジャーニー」(松本伊代)は「アローン・アゲイン」(ギルバート・オサリバン)。

「ギンギラギンにさりげなく」(近藤真彦)は「愛のコリーダ」。

「恋の追跡」(欧陽菲菲)は「黒い炎」(チェイス)。

「くれないホテル」(西田佐知子)は「ラスト・ワルツ」(エンゲルベルト・フンパーディンク)。

「マドモアゼル・ブルース」(ジャガーズ)は「今日の誓い」(ビートルズ)。

よくこんなところからネタを拾ってくると感心するが、それに気づいた近田春夫もすごい(^_^;)

 

「曲調が一人の人間だとは思えないぐらい多彩だからすごいよね」と近田は言う。

これに関しては、あるルートから聞いたのだが、曲を大勢の下請けに作らせていた、という話がある。

もちろん印税は筒美に入るわけだが、出来高払いという形で、けっこうな額を払っていたとか。黄金時代の超多作ぶりを思い返すと、そんなシステムもうなずけるのだ。若い才能をうまく使うという意味では、頭がいいなと感心した。

まあそんな話も、ツツミかくさず明かしてほしかったなあ……なんつって(^_^;)

 

Jコンその2

Jコンは20インチホイールの小径車。

かつてブロンプトン、モールトン、BD–1、トランジットコンパクトなど、小径車にはいろいろ乗ってきたわけだが、このところ大径車ばかりで、小径車はご無沙汰していた。

久々に小径車に接すると、けっこう新鮮な印象で、乗るのが楽しい。そのメリットを、あらためていろいろ体感した。

 

○小さく、軽いので取り回しがラク

○前乗りで乗り降りしやすいので、街歩きには最適。ちょこちょこ止まったり寄り道したり、という使い方にはピッタリだ。

○ちょこっと駐輪する場合でも、さほどスペースを取らないので、周囲への迷惑度は低い。

 

……などなど。

これまで乗ってきた大径(700C)は、安定性や直進性などでは確かに安心できるものだったが、逆にいえばそれはあまり面白くない……とも言える。

小径は多少不安定で、段差や悪路にも気を使うのだが、それはある意味刺激があって面白い乗り味、ともいえるのだ。

周囲の交通状況や路面状況に気を配り、危ないクルマや逆走自転車がいないか注意しながら走る。いわば周囲と調和し、折り合いながら走る、という感じがある。これがけっこう新鮮だ。

 

それに小径のデメリットは、ある程度電アシということでカバーしてくれる。

「小径は疲れる」という、ごく当たり前の批判には、自転車なんてもともと疲れるものじゃん! 疲れるからいいんだよ! と言い切ってしまおう。

 

とまあ、小径車についていろいろ考えてしまった。

電アシをラクで楽しい乗り物と考える私としては、さらに小さく軽く、取り回しがラクというメリットが加わったわけで、大いに満足している。

小径電アシは、年寄に最適!というのが結論だ(^_^;)

若い頃には、気づかなかった視点でありました。

Jコン

このほどゲットしたJコンセプト。略してJコンと呼ぶことにした。

JCだと女子中学生かと思われる恐れがあるので(^_^;)

 

今回、自転車を新しくするのは老化防止にいい……ということを再認識した。

自転車に快適に乗れる姿勢は、人によって違う。前傾姿勢の角度も、その人の走り方、使い方によって決まってくる。

したがって、新しい自転車を手に入れると、まずは

自分に合ったポジションを出すことが必要になる。

ハンドルの高さ、サドルの位置、グリップの選択……。やることはいっぱいある。

 

今回、ハンドルは2回換えて、やっと自分に合うポジションを手に入れた。そのたびにグリップやシフトレバー、ブレーキレバーなどを付けたりはずしたり。面倒ではあるが、楽しくもある作業だ。

 

深夜までかかってこの作業を終え、さっそく外に持ち出して漕ぎ始めるときのワクワク感。そして、「おお、これぞ理想のポジション!」と満足できたときの快感ったら、背筋がゾクッとするくらいのもんだ。

 

ちなみに私の好みは、ちょっと前傾するくらいのママチャリ寄りポジション。ロードレーサーのような前のめりはとてもムリだ。

これって、何事にも前のめりにならない性格を表しているような気がしないでもない……(^_^;)

 

そして、しみじみ思った。新しい自転車を手に入れてこんな風にいじると、手と頭を使うので、かなり脳が活性化する。体にいい、と。

つまり、何年かごとに自転車を入れ替えれば、老化はかなり防げるのではないか?(かなり強引w)

 

前回唱えた「人生最後の自転車」というキャッチフレーズは、早くも撤回か?(^_^;)

まあ「仁義なき戦い 完結編」のあとにすぐ「新・仁義なき戦い」が作られたし、「ランボー 最後の戦場」のあとに「ランボー ラスト・ブラッド」なんてあったしね。

ちなみに乗ってるときは、山本譲二の「みちのくひとり旅」のサビの部分を「♪オレには最後の自転車〜(字余り)」と変えて、聞こえないように歌っております(^_^;)

 

前ノリ

前ノリといっても、前田憲男のことではない(古いか?w)。

このたびゲットした小径電アシ・パナソニックのJコンセプトのことだ。

 

この自転車はママチャリのようにフレームがスタッガード式なので、前から跨いで乗る。これまでは後ろ乗りばっかりだったので、なんか新鮮。

それに、使ってみるとなんてラクなんだ!と感動した。

一旦外出したら、けっこうな回数乗り降りするわけだが、疲労度がかなり違うような気がする。

いままでの労力と手間(?)は、なんだったんだ!と西荻の空に向かって叫びたくなった。

 

もうひとつの特徴は、うしろカゴ。

以前他人のママチャリを借りて、うしろカゴの便利さと快適さを知ったので、Jコンセプトもうしろカゴだけを付けた。

ハンドルをとられてふらつく心配もないし、けっこう重い荷物も安心して載せられる。

ちなみにJコンセプトの使用説明書を読むと、積載荷重は前カゴ2キロ、うしろカゴ18キロまでとなっている。えらい違いだ。

前カゴをつけてる人が多いが、ぜひうしろカゴをオススメしたい。

盗難とか脱落の心配はあるので、一応カゴカバーも買っておいた。

 

というわけで始まったJコンセプトライフ。

やはり新しい自転車をゲットするのは楽しい。体に合わせてポジションを調整したり、部品を取り替えたり、ご近所を試走したり。なんだか若返ったような気もする。

いちおう周囲には「人生最後の自転車」と言いふらしているのだが、みんな笑えないようだ(^_^;)

ニッチな例?

最近、松原みきの「真夜中のドア」にハマっている。

1979年リリースのシティ・ポップで、 松原みきのデビュー曲にして代表曲。当時、FMからカセットに録音して、よく聴いたものだ。

あらためていい曲だなあと思ったものだが、ひとつ気になったところがある。

 

「STAY WITH ME 真夜中のドアをたたき 帰らないでと泣いた」というのがサビなのだが、これって変じゃないか? 

状況としては、自分の部屋を訪れた男が、帰ろうとするのを泣いて止めている……と読めるのだが、「真夜中のドアをたたき」ということは、女性が男の部屋を訪ねたということであり、大いに矛盾している。

 

これはどういうこと?と考えつつ、You Tubeでいろんな歌手のカバーを聴いていたら、すごいのに突き当たった。

インドネシアのレイニッチというYouTuber歌手?だ。

日本人好みの可愛い丸顔と声質だが、イスラム特有の頭巾を被って、まるまる日本語で歌うそのたたずまいには口あんぐり。

あまりのインパクトに、何回も聴いてしまった。ほかにもアニソンをたくさん歌っている。ただし歌は聴いたそのままを歌っているだけで、日本語は全然分からないらしい。

なんでもインドネシアでは、日本のシティポップが大流行しているという。

 

 それにしても、すごい時代になったものだ。You Tubeで歌っていたのがスカウトされて、日本でCDが発売されるまでになったのだから。

これからは、こういうのもニッチな例ではなくなるんだろうな(^_^;)

コロナが落ち着いたら、来日公演もいけるんじゃないだろうか。彼女には、それぐらいの魅力が感じられる。

レイニッチさん、ぜひ来ニッチ(日)してね!