海を見ていた午後?
「海も暮れきる」(吉村昭著)読了。
自由律俳句で知られる尾崎放哉の最期の日々を描いた小説。
東大を出て生命保険会社に入ったのに、会社員生活に適応できず、退職。酒浸りになり、離婚して寺男などしながら小豆島にたどり着き、病死した。享年41。
生活能力ゼロで酒癖が悪く、困るとなんでも人を頼ろうとする、破格のキャラが面白い。とりわけ、金に困ると知人や俳句仲間にすぐ借金の手紙を書くところなど、マメすぎて笑える。なんのためらいも迷いもなく書くのだ。すごい自己チュー。周囲にはさぞ煙たがられてたんだろうなあ。
そのくせ、春になればお遍路さんが来てお金を置いていくからそれに期待しようとか、さらにそういう人たちの手紙の代筆をして金を稼ごうとか、妙に楽観的で打算的なところもある。はたで見ているぶんには面白いが、おつきあいするには困るタイプだ。
そういえば「孤独の俳句」で、種田山頭火のことを「あれで愛嬌があれば寅さん」と、金子兜太が評していた。放哉も、その意味でなかなか魅力的なキャラではある。
ちなみにタイトルの「海も暮れきる」という句は最後まで出てこない。青空文庫を調べたら、「障子あけて置く海も暮れきる」とあった。病床に臥せってもはや動けず、海を眺めるくらいしか楽しみもない……ということか。
まあとにかく、性格やら生き方やら死に方やら、いろいろ身につまされるところの多い小説でありました(^_^;)
既視感
YouTubeで、ひょんなことからプロレスラーの動画を見始めた。
昔の試合などやっていると、つい懐かしくて見てしまう。蝶野正洋とか獣神サンダーライガーとかブル中野とか、自分でチャンネルを持っているレスラーも多い。あの時はああだった……とか、あのレスラーはじつは変なヤツで……とか裏事情を明かしている回など、じつに面白い。
ついつい見てしまうのは、長州力の動画だ。娘婿とたわいない会話をしたり、うじうじといじったりするだけの回が多いのだが、これが妙にはまる。くだらないが、面白いので次々に見てしまう。
そして、見た後は妙な徒労感に襲われる。これは既視感があるなあ……と思ったら、テレビにはまっていた頃と同じだった。
大宅壮一はテレビばかり見ている大衆を嘆いて「一億総白痴化」と言ったが、YouTubeはいよいよそれに替わる存在になったのかも(個人の感想デスw)。
名句マイデイ?
「孤独の俳句」(小学館新書)を読む。種田山頭火と尾崎放哉の名句を、金子兜太と又吉直樹が解説している。
山頭火は好きなので、そっちが目当てだったのだが、読んでみると放哉の句もなかなか良かった。
「つくづく淋しい我が影よ動かして見る」
「友の夏帽が新らしい海に行かうか」
「こんなよい月を一人で見て寝る」
「一本のからかさを貸してしまつた」
「足のうら洗へば白くなる」
「入れものが無い両手で受ける」
「咳をしても一人」
……等々。
「墓のうらに廻る」は、昔はじめて読んだときは、なんかシュールでユーモラスな句だなと思った。ちょっと不気味でミステリアスでもある。又吉の解説で、腑に落ちた。
曰く、「墓の裏には故人の情報が刻まれている。小豆島で死ぬことを覚悟していた放哉ならば墓や死は遠いものではなかっただろう。突然、墓の裏に廻りたいという衝動が起きたのかもしれない」。なるほどね、と頷いてしまった。
「花火があがる空の方が町だよ」は、放哉の孤独の深さがしみるようだ。
放哉自身は町から離れた場所から遠い花火を見ている。正確には花火を見物しているというよりは、花火を見物しているであろう人々が暮らす町の方角を眺めているのだ。つまりこれは、自分に向けて語っている言葉だろう。他者と隔絶した場所にいながらも、孤独になりきれない未練とかいらだち、はたまたあきらめとかが伝わってくる。
というわけで、放哉に興味が湧いたので、小豆島での最期を描いた小説「海も暮れきる」(吉村昭著)を読み始めた。こうして、読む本がどんどん増えていく……(^_^;)
アウチ!
イケアのイスで仰向きに寝そべり、iPad miniでネットサーフィンをしていたら、ついうとうとしたせいで手がゆるみ、miniを落としてしまった。
miniは顔面、それも前歯のあたりを直撃。一気に眠気がさめたのはもとより、かつて味わったことのないような痛みで悶絶した。しばし動けず、ひょっとすると、前歯が折れたか?と思った。
映画「マラソンマン」を思い出した。元ナチの医者の拷問で、前歯に穴を開けられたダスティン・ホフマンが悶絶する、いや〜な場面だ。
幸い痛みはすぐおさまったが、冷や汗ものだった。
まあ、でもものは考えようだ。ここはminiで良かった、と思うことにした。
miniを買う際、普通サイズのiPadにしようかminiにしようか、さんざん悩んだ。そんなとき参考になったのは、両方持っている人の意見だった。
曰く、「顔に落としたとき、普通サイズのiPadのほうが痛い」という貴重な?アドバイスをもらったのだ。重さが倍くらい違うんだから、そりゃそうだろうなと納得した。
今回、その意見の正しさを身を以て噛み締めた次第。これが普通のiPadだったらどうなっていたやら……想像するだにゾッとする。なにごとも前向きに考えないとな〜。
いずれにせよ、もう寝ながらminiは使わないようにしようっと(^_^;)。
そんなに忙しいのか、キミたちは。
「映画を早送りで観る人たち」(稲田豊史著)を読む。
なかなかおもしろかった。最近のZ世代は忙しいし、SNSなどの同調圧力でアニメやドラマをたくさん消費しなくてはならないので、自然と倍速や飛ばし見になるとか。シリーズもののドラマは、最初に最終回を観る、なんてこともするらしい。監督で観る、なんてこともしないとか。
私も倍速で観ることはあるが、それはムダな長回しがあるとか、緊張感のない画面であるとか、演出にメリハリがないなどのせいだ。まあ、人生の残り時間も少ないので、つまらない映画につきあってられない、というのがホントのところだが(^_^;)
そもそも、黒澤とか小津の映画は、とても早送りボタンを押せない。そうさせないだけの力が、画面にあるからだ。押したら失礼だ、という畏敬の念ももちろんある。
そもそも監督のことなど気にしないZ世代には、そういう発想はないんだろうな〜。
映画を観る楽しみは、観たあとに評論を読んだり、映画の背景について調べたり、親しい人と雑談したりあら捜ししたり、自分なりに考察することだと思っている。自分なりの気付きやウンチクを披露するのも楽しい。
つまるところ、いつも飛ばし見で映画をやりすごして見た気になっている世代とは、楽しい雑談はできないだろうな〜と思った次第であります(^_^;)
駅伝を応援。
1月3日は、なぜか大学の級友に誘われて品川稲門会主催の「箱根駅伝応援会&新年会」に参加した。
京浜急行の青物市場駅に近い店が会場。飲み食いの合間に店からすぐの国道に出て、みんなで駅伝の選手を応援する――という企画だ。
間近に見る駅伝の選手は、えらく速かった。あっという間に走り去っていったので、ゼッケンの文字もよく見えなかったぐらいだ。
国道沿いには大勢の一般人が出て、声援や拍手を送っていた。新年にはこういうイベントも、たしかにピッタリだなと。
で、現場で知ったことなのだが、国道なので普通に横断歩道を渡る人も、もちろんいる。どうやら警察(および関係者)が連絡をとりあって、選手の通過がしばらくないタイミングを見計らって、信号を手動で操作しているようだ……と分かった。なるほどねと。
飲み会のほうは、なにしろ品川区の人ばかりなので、こっちはまったくのアウェイ。この近くで花屋をやっているとか、どこのスポーツジムに通っているとか、当方にはかすりもしない話題で盛り上がっていた(^_^;)。
最後は、お定まりの校歌と応援歌で締め。これを歌ったのは、何十年ぶりやら……。
まあ、新年からちょっと面白い体験ではありました。
感心しまくり。
「教養の語源英単語」(清水建ニ著/講談社新書)を読む。
“歴史と語源を一緒に学ぶと、「英語の体幹」が鍛えられる!
誰かに話したくなる豆知識も多数! 楽しく学べる英語の教養”(Amazonより)という触れ込みだ。
昔から語源を辿るのは好きなので、面白く読んだ。
なにしろ高校生のころ、岩田一男の「英単語記憶術」を読んで、語源の面白さに目覚めたくらいのもんである。
へえ〜と感心したのは、たとえばこのくだり。
「奴隷」を表すラテン語は、主人に対して「忠誠や義務を果たすこと」を意味するservus(セルヴス)である。そこからserveやservice、servantが生まれた。……ちなみに、食後に出される「デザート(dessert)」はフランス語源で「de(離れて)+sert(給仕)」、つまり「給仕の手から離れる」が語源で、「これで給仕が終わる」ことを表す語だ。
そうだったのか!と、全身からウロコが50枚ほど落ちた。いやはや語源を探るのは面白い。
そんなわけでこの本、感心したところに付箋を貼っていったら、付箋だらけになってしまった。検索の利便性を考えると、電子書籍で買い直すかなあ……(^_^;)。