負け惜しみ

最近のマイブームは、ネットで韓国の新聞の日本語版を読むことだ。
朝鮮日報とか中央日報を読んでいると、日本に関する
記事がない日はなく、自民族優越主義と日本へのコンプレックスの
ないまぜになったその論調には辟易しつつも、突っ込みどころの
多さに、つい読みふけってしまう。
日本の新聞を読むより面白い、というのも困ったものだ。おかげで、
ごちそうさん」を見るのがおろそかになってしまった。


どんな記事でも日本を引き合いに出して貶めようとするのが、
ひとつのパターンだ。最近笑ったのは、「内在的発展論」という学説。
「韓国の史学界の主流理論は、日帝侵略がなかったら韓国が自主的に
近代社会へと発展できたと見るいわゆる『内在的発展論』だ」
中央日報)……そうな。
オイオイ、歴史で「もしも……」を言っちゃおしまいだろう、と
言いたくなる。「関ヶ原で豊臣方が勝っていたら」とか、
「日本が原爆を先に作っていたら」とか、「真珠湾に空母がいたら」
なんて言い出したらキリがないぞ。
韓国の歴史はファンタジー、と言われるゆえんだ。


しかし、これは日常的になかなか使える表現ではないか。
さっそくワタシも活用している。「内在的発展論的にいえば、
君に教えてもらったことは、どの道わかっていたことだ」とか、
「内在的発展論的に振り返れば、オレはもっと金持ちになっていた」
とか、いろいろ便利に使える。
う〜ん、まあ、ていのいい負け惜しみですな(^_^;)。
とくにワタシの世代でリアルに使えるのは、「あのとき東大入試が
あれば……」というヤツだ(←わからん人が多いだろうな……w)