至言

CSで高倉健の特集をやっていたので、「駅」をまた見てしまう。
これで何回目だろうか。
健さんはやっぱりいいが、倍賞千恵子が絶品。いつもは寅さんの
妹・さくらのイメージしかないが、 こんなにいい女だったかと
見惚れてしまう。
それぞれの葛藤を秘めつつ、別れるしかない男と女。少ない
セリフの行間に、ふたりの思いがにじむ。じんわりと人生の
哀しみや諦観といったものが伝わってくる、大人の映画である。


最近読んだ「高倉健インタヴューズ」のなかで、健さん
こう語っている。
「本当に嬉しい、もしくは悲しいと感じたら、人は
『嬉しい』 とか『悲しい』 なんて言葉を口にするでしょうか。
僕はしないと思う。声も出ないんじゃないか。(中略)セリフだけが
表現じゃありません。僕は大上段に振りかぶってやたらと大声を
出す映画には本当の力はないと思う。思っていることを低い調子で、
そっと伝える映画に出たい」と。


これは真実であり、また映画技法の要諦だと思う。
昔シナリオ・センターに通っていた頃、「なんでもセリフで
説明するのは愚の骨頂」と教わったものだ。
ちなみに、ワタシも本当に驚いたときなど、声も出なくなる。
先日サイフの中身を確認したときなんか、まさにそうだった(^_^;)。